sand cube

The more I learn the more I realize I don't know. The more I realize I don't know the more I want to learn.
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# 「がんばれ」「負けるな」とは
地震からもう1ヶ月が経った。
北東北の春はもう少し先です。
とはいえ風は春らしい。





最近よく掲げられているのが
「がんばれ(がんばろう)東北/日本」
「負けるな」
という応援の言葉ですがこれについてそろそろ違和感を感じてきましたよ。


諦めない粘り強さがどうしても必要で、
体力≦気力かもしれない。

それでも何かその根底にある
「みんなで敵(=(今回は)災害)を打ちのめそう」
という思想が気にかかる。

誰か(何か)を敵にしなきゃ頑張れないのかい?と思っちゃうんですよねぇ。



それからtwitter etc.で
それこそ「空気の読めない」発言を嫌悪したり、
「みんながこうやってるんだから合わせよう」みたいな煽動をしたりする流れ。

そりゃあまり場違いなことを公的な場で書いたりするのはどうかと思うし、
正直に言って地震の後にグルメ記事をよく更新したりするブログにえっと思ってしまったこともあります。
でもこの流れは怖いと思うんです。
「こういう路線から外れた考え方は許さない」みたいな。

それぞれの立場も違って、置かれた環境も違って、
それなら見方も対処も違うのは当然のことかと思う。
もしかすると許す余裕がないだけかもしれないけれど。
果たして押し込めて封じようとして上手くいった例があるんだろうか?


たとえ話で、
もし船が難破して救命ボートが足りずに自分が犠牲にならなくてはいけない場面になったとしたら、
日本人は
「他の人たちもみんな飛び込んでいきましたよ」
と言えば飛び込むって言う話を読んだなぁ。



海外の有名人がよく使う
「私たちの心はあなたがたと共にあります」
とか
「日本のために祈っています」
とか、そういう寄り添っているという安心のようなものを見せてくれる言葉の方が、
今よく作用すると思う今日この頃です。
Pray for Japan。
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# 被災記(vii)
3/15(火)@鶴岡→秋田
地震から5日目
同行:hちゃんとそのともだち・師匠



朝、起きてごはんをいただいてさっそく出発。
歩いて鶴岡駅へ。
ちょっと冷えるけれども歩いているとちょうどいい。


駅前のおみやげ屋さんも通常営業。
ほんっとにお世話になりました。
hちゃんを通じて今度お礼しないとなぁ!





鶴岡駅、運休なし。
予定通り鶴岡→秋田の鈍行に乗り込む。
ここでこの春休み使い倒す予定だった18きっぷをちゃっかり使う。




電車の中はあまり人が乗っていない。
でも向かいに座っていた母娘は何となく仙台から来たような感じがした。
おばあちゃんたちが買い物に出るのか、2駅3駅で乗っては降りていく。

なんて普段っぽい。
そろそろ本格的に曜日感覚がない。




秋田に入るとやっぱり白い。
県南は今年本当に大雪だ。
とはいっても3月の1週目あたり、
実家から仙台へ行くのに県南まわりで電車に乗ったときより、
少し雪解けが始まっていた。




...あぁぁまさかこんな大災害になるとは。
誰が予想できただろう?
確かに、引っ越した当初からあと10年20年のうちに
必ず宮城県沖で地震が起こると言い聞かされてきた。
だからロフトの枕元には手回しラジオ、靴、靴下、そんなものを並べていた。
避難所も向かいの高校だし安心だと思っていた。
分かってはいた。
が。
まさかこんなことになるとは。





「わぁっ!」
ともだちが声を上げた。
何事かと思うと窓の外に大きな山が見えた。
たぶん鳥海山。
たぶん初めて見た(秋田県民ですが何か...)。
なんという安定感。
ついついカメラを向けてしまう。
車内の人たちも次々シャッターを切っていた。




ようやく秋田に到着。だいたいお昼頃。
まずは師匠が取ったホテルのチェックインに付き添い。
ここもごくごくいつも通りに見える。
お昼はナガハマコーヒー。
万一のとき泊めてくれることになっていたhちゃんのともだち(鶴岡の子とは別の子)と合流し、
一緒にランチした。
この子もかわいいし(爆)優しかった。
他愛のない、休み時間にいつもするような話をしてみんなで笑った。

ほんっとともだちってすばらしいなぁと思った。





大体食べたところで時計を見ると、
13時台の青森行きの電車に間に合いそうであった。
次は15時台なので、別に逃してもいいのだがとりあえず早め早めに動くことにする。




師匠はここで盛岡行きのルートがつかめるまで滞在するので、
師匠とhちゃんのともだちに見送られてhちゃんと改札に入る。
師匠とhちゃんのともだちはもちろん、
数時間前に初めて会ったばかりなんだけど
残してきて良かったのだろうか。
その後の行動がちょっと気になるw
2人とも美人なだけに妙にシュールな画になってそうw


そんなことも話ながらhちゃんと電車に揺られる。
自分は秋田から2時間しないくらいで到着。そこでhちゃんとお別れ。







ほんっとにありがとうと何度言っても言い足りないくらい。
なのにhちゃんもこちらこそありがとうと言ってくれた。
お礼を言われるようなことなんて何もしてないよ。











そうやって無事に家に帰ってこられた。
精一杯であっという間の1週間だった。
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# 被災記(vi)
 3/14(月)@仙台
地震から4日目
同行:hちゃん・師匠


朝起きて、頭を洗う。
まだもちろんガスは止まっている。
「修行だ修行!」とか言いながら水で洗う。
(夜だとやっぱり寒いから朝にした)
沸かしたお湯にタオルをひたしてしぼって、それで体をふく。



朝ご飯はhちゃんが焼き魚を出してくれる。
おいしい。




前の日インターネット予約ができたバスがあったので、
無理っぽいかなぁとは思いながら歩いてバスセンターまで行くことに。
大体10時、外に出ると快晴。しかも暖かい。

片平はあまりにいつも通りで、
本当に地震があったのか?と思ってしまう。
ただ店先が陥没していたり、家の横の簡易階段?が抜け落ちていたりとやはり爪痕はある。




バスセンターは何とその日閉鎖されていた。
前日席一杯に座っていた人たちを思い出した。

「40番前の山形行きのみの運行」と張り紙があるので、駅前に向かう。
十分ほど歩いて駅前のバス停に着くと、かなりの行列ができていた。
宮城県内の他の町行きのバスも出ているらしいので、
何に並んでいるのか分からない。




係の人に聞いてみると、
「山形行きは運行しているが、時間は分からない」
というのである程度待つのは覚悟した。
また「前の日は21:30ころの最終便でも何人かお断りした」と言う。乗れない可能性もあるのか...
ついでに「前の日何本出ましたか」と聞いてみると、「数えていないので分からない」と...えっ。
(この後並んで分かったが、かなり多くの本数が出ているので数え切れなかったろう)




このあと銀行(開いていた)に寄って、一旦マンションへ。
もうお昼で、行くときに開いていて驚いた近所の豚カツ屋さんが混み始めていた。





もう一回HPを見ると、一応通常時の時刻表が載っていて大体15本/日くらい出ている。
「まぁとにかく並ぼう!無理なら夜もそこで場所とって明日の朝でもいいし!」
ってことで、荷物をまとめて出発。
(後で思い出したがお昼食べようとしていたポトフの存在をすっかり忘れていた...)


hちゃんはもうほとんどバックパッカー状態。
師匠は手持ちのかばんが重くて「リュックにすれば良かった〜」と後悔気味。
自分はリュックひとつ。なぜかいつもこれに収まってしまう。
身軽すぎるので荷物持ちを手伝う。





バックパッカー(こっちは本物)の外人さんが辺りを見回している。
和菓子屋さんがお店を開けている。


一風堂の方を通っていくと、
ワゴンをとめてなにやら炊きだしをしているようだ。
これから脱出するわけだし、もらおうともせずに通り過ぎようとしたところで
「もうもらいましたか?」
お姉さんが声をかけてくれた。
「い、いいえ」とびっくりしていると一個ずつわかめごはんのおにぎりを手渡して
「がんばりましょうね!」
と言ってくれた。




時刻表を見ると駅前より県庁市役所前の方が先に通るようだったので、
乗りやすいだろうと考えてそちらに並ぶことにする。
昨日のダイエーの行列を見たせいでものすごく強気になっている。
あれより並んでる訳はないだろう。



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# 被災記(v)
(追加:3/13(日) 午前の話)

3/13(日)@仙台
地震から3日目
同行:Aちゃん

すっかり時間感覚が麻痺してます。書き忘れてたのを思い出しました。


ということで、時は日曜午前。
やっぱり柔らかいところで寝ると寝られる。
余震はまだ収まらない。
何だか覚えていないが、楽しい夢を見た。





まだ牛乳とパンがある。お菓子も不足なし。
電気は来ていない。
そうして10時頃、自転車で電力ビルへ携帯の充電をしに行く。
ついでに街の様子も見に行く。






ところでAちゃんは吹奏楽をやっていることもあって、顔が広い。
なんだかロクに知り合いと出くわさない自分が恥ずかしい。


とはいえ前日、川内北に行ったときには
「...ーン!...ジョーン!」
と呼ばれたのにようやく気付いて振り返ると、Iちゃん(注:♂)が手を振っていた。
J「おおぉ!?無事!?」
I「うん、ジョンよりはね(ニヤっ」
J「へ?」
I「すげー寝起きって感じ(笑」
J「あ、うん...さっき起きた...(この日は土曜、せっかくの日中に部屋で長いこと居眠りしてしまった)」
ということがあった。
全くこの非常時に元気なヤツ。
...どのみち恥ずかしい。



さて、その話は置いておいて、
Aちゃんの知り合いのアウトドア系男子情報で電力ビルの充電情報を得た訳である。
そんな彼はどうやらtwitterでその情報を得たらしい。

Dくんもあとでボイスにtwitterに救われたって書いてたけど、
自分はtwitterがすごいというより、その前提として、
フォロワーさんという生きた存在がすごいって思うというか。
やっぱり人間のコミュニケーションって大事だなぁっていう考え方かなぁ。
システムより人に感謝したいよなぁっていう。
いや、でも役立ったのは事実。
あとでデマ拡散の問題についても書きたいなぁと思う今日この頃)






自転車を止めてアーケード方面へ歩いて行く。
一番町からクリスロードへ。
柱や壁の、今まで気にも留めなかったところに電源があって、
1カ所に何人も座り込んで携帯を充電している。
アップルストアやZARAがガラスをシートで覆っていた。
たおれたマネキンが地震を思い出させる。


市バスが(自分がよく使っていた路線は)いつも通りに走っている。
ようやく電力ビルに入ると、ロビーには少し人がいた。
奥の方へ開いているコンセントを探しに行くとあったので2人で充電する。
向かいには大きめの自販機があって、店舗の人たちかな?が買っていく。
みんなてきぱきと片付けや再開の話を進めている。




そうしていると左側にあったMotherというお店のお母さんが声をかけてくれて、イスを何脚も出してくれた。
その上十穀米のおにぎりまでくれた。
ご自身だって大変だろうに、いすだけでも申し訳ないほどありがたいのにその上ごはんまで...
マザー、マジマザー。
仙台に戻ったらお礼を言いに、そして何か買いに行こう。




1時間くらいしてようやく充電できた。
となりのイスにはおじいさんがいつの間にか座っていて、
ややこちらに背を向けてカップ麺やおにぎりを食べていた。
何だかこちらが悪いような気分になった。
と、「あっちで炊きだししてるよ」と突然声をかけてくれた。
それから沿岸の被害の話をぽつぽつ話していた。




そうしてマザーのおかあさんにお礼を言って、ビルを出た。



おじいさんの言った場所で無料の炊き出しをしていた。
ミア・アンジェラだった。
結構並んでいたがそんなに待たず、
具だくさん(海老や厚切りベーコン、野菜がたっぷり入っている)のピリ辛スープをもらう。
すごくおいしかった。
周りの人たちも「ありがたいねぇ」と言いながら食べていて、何だかほっとする場所ができていた。


おにいさん2人が鍋について、軽く味を見ながら煮込んでいた。プロだった。
にこにこ元気なお姉さんがお店の白いボウルを持っていっては洗い、とてもきびきびしていた。


お礼を言って空の器を返した。
もらうとき恥ずかしそうだったAちゃんも、
このときははっきりした声で「ごちそうさまでした」と言っていた。







名掛丁を抜けて駅へ向かってみる。
ここでも充電隊が多い。極限までのタコ足配線という感じ。

ラーメン屋さんが炊きだししていた。
確か一杯300円くらい。結構並んでいた。
ちなみにやっているお店はここまでほとんどない。
かといって破損なども特にない。





宮交バスセンターに入ってみると、
イス一杯に人がいたが、大混雑というほどではない。
係員さんに人が群がっていた。
掲示を見るも、走っている高速バスは一切ない。
何のバスをみんな待っていたんだろう?




そこから、止まったエスカレータでペデストリアンデッキに上ってみる。
やっぱり動かないエスカレータはものすごく変な感じがした。


アエル(通路だけは開放していて、ベンチには人が座っていた)もパルコも閉店。
こんなの初めて見た。
駅を見ようと思ったが、
さっき上ったところ以外のデッキ登り口全部に立ち入り禁止テープが...
ヤバい場所にいたと思いながらそろそろ降りる。


デッキの階段がひび割れたり崩れかけたりしている。
点字ブロックやタイルにそって、駅前の歩道が凸凹になっている。
人通りはいつもより少ない。
駅の入り口まで行くと、1階の西口の自動ドアが「立ち入り禁止」となっていた。

その頃はまだ駅員さんもおらず、
「まぁ何日かしたら開くだろう」なんて軽く考えていた。






とりあえず確認も済んだし、ひとまず帰った。
歩いていると全く揺れに気付かない。
午後はhちゃんのマンションに行くことを伝えて、Aちゃんには念のため合い鍵を渡した。
少し部屋の片付けをした。
台所の戸棚の油の瓶がことごとく倒れていた。
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# 被災記(iv)
 3/12(土)@仙台
東日本大地震2日目
同行:Aちゃん




朝、日が昇り明るくなると目が覚める。5時位。
夜中寒すぎてもっとがばっと布団を掛けたいがそうもいかない。
床が堅いがなんとか体は大丈夫。

にしても昨日ははっしーさん・hちゃんと電話が通じて良かった。
声が聞けるとものすごく安心する。

外ではずっとたき火をしていたらしい。
今日も寒い。






6時半ころ、「7時から炊きだしがあります」と各教室を回って知らせている。
みんな一斉に教室を出てしまう。
何だか現実感がまだなく、「そんな急がなくても・・・」と思って教室で待つことに。
避難所には泊まらず近所にいたらしい人たちも続々グラウンドに入ってくる。

夜泣きも全然しない赤ちゃんのところに行ってお母さんと話す。
ちょうど地震のときは病院で検診をしていたらしく、赤ちゃんが素っ裸で大変だったと笑って話してくれた。
赤ちゃんに指を差し出したらぐぐっと握ってくれた。
東口の方に住んでいるが、帰っても2人だし・・・と言っていた。

早めに行った方がいいですよと言ってくれたのでぼちぼち並ぶことにする。
昨日の元気なぐーすか旅人さんとビューティフル・イングリッシュさんが戻ってきたので、
「並びましたか?」と聞くと「いや、割とすぐもらえましたよ」と教えてくれた。








とりあえず前の人について並んだがどうやら間違った列だったらしい。
気付いて最後尾を見回し探していたが、直後のおじさんがジェスチャで「いーよいーよ」と入れてくれた。
うちの学科のヘルメットを持っていたのでびっくりしていると、
「前うちのアパートに住んでた奴が置いてったのよ」と言う。
元気なおじさんで、朝から元気をもらう。
すぐそばのアラブ系の外人さんが、
ちょうど折り返した後の列の人にスペイン語か何かで嬉しそうに話しかけている。

グラウンド向かいの体育館にも大勢避難していたらしい。
列はグラウンドを2往復するくらいの長さだったが、
わかめごはんのパックと割り箸が一人にひとつ十分行き渡っている。
号外も配ってたのかな。自分の番までは残ってなかったけど。




さっきのお母さんは粉ミルク待ちで教室から出られないので、一応お母さんの分ももらう。
と、戻るとどうやら手に入っていたらしくて「あちゃー」と思う。
が、ちょうど朝から来たらしいおばあちゃん・おじいちゃんと孫らしき女の子がいて、
おじいちゃんが「じゃぁおじいちゃんが並んでくるな?」と言っていた。
どうやら女の子が欲しがっているようなので「これどうぞ」と手渡した。
とても喜んでくれた。











明るくなったことだしいったんアパートに戻る。
Aちゃんはちょうど新入生向けの大学生協の不動産系バイトをしていたので、
念のため電話連絡もないが本来の集合場所に行ってみるという。
自分は部屋で過ごす。電気はまだない。
うちは食器も何も割れていない。







お昼をすぎ、Aちゃんと少し出歩くことにする。
文系の購買が開いていると聞きつけ、言ってみると並びはするもののやっていたので少しお菓子を買う。
文にはたまにしか来なかったけど、いつものお昼の方が多分並んでる。
残っているのはお菓子・飲み物・プリンやゼリーくらいかな。
カップ麺なんかは全然ない(どうやってお湯をわかすんだろう?)。
レジ打ちのおかあさんと、袋詰めのおじさん、警備兼案内のおじさんの3人体制。
レジスタが動かないので、電卓で精算している。
レジ打ちさんが分からないものは走って棚まで確認に行っている。
前のおにいさんたちの精算のとき、レジ打ちさんが「あれ?こんなになるはずないですね」と再計算していた。
手打ちは大変だ。
聞くと朝からずっとやっていて、「ワタナベ(レジ打ちさん)はもう水も飲まずやってますよ〜」と袋づめのおじさん。本当にありがたい。




帰りに公衆電話に寄る。
3人くらいしか待っていない。
赤ボタンの使い方がよく分からず、結局かけられたのは次の場所。
Aちゃんが入っているときに後ろの男子学生がノックして、「そこ(赤ボタン)を押してからかけるといいですよ」と教えてくれた。
秋田にかけたが話し中の音がするばかりだった。


食料も(お菓子ばっかりとはいえ)心配ないし、
この日はアパートで寝ることにする。
戻って夕方薄暗くなるまでひとりで本や漫画を読んだ。
読みかけの『きつねのはなし』を読み終え、N先生がくれた惑星の本をかじり、『聖☆おにいさん』と『ボーボボ』をめくって気が紛れた。
いよいよ読めないくらいまで暗くなるとなんだか落ち着かずこのまま寝るのは無理!と思ったのでAちゃんを呼んで泊まってもらった。
ソファ買ってよかった。Aちゃんにはロフトに寝てもらう。









ラジオは相変わらず悲惨な文章を耳に押し込んでくる。

「電気は通ってるよ。師匠も来るし、おいでよ」と日中電話が来たので明日はhちゃんの所に行こうかと考える。









前の晩の避難所の真似をして、
LEDライトを一晩中付けて寝た。
赤→緑→オレンジのゴキゲンなライトでちょっと笑えた。
この部屋、外から見たらどんなもんかと想像した。
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# 被災記(iii)
3/11(金)@仙台
地震1日目(夜)
同行:S木さん→Aちゃん

(後)

SMSは送れるが、届いたのかよく分からない。


部屋に戻るときに声をかけた同じ階のAちゃんと相談し、
夜は避難することに。
夕方、寝袋(これがのちのち役立った)や水、充電池のラジオ(中学の技術で作った。ライト付き)、毛布にお菓子を持ってアパートを出る。...(1)

とりあえず仙台に引っ越すときに生協の人に言われ、近所の看板でもいつも見ていたので二高へ行く。
グラウンドを突っ切って行くと、車に乗っている先生がいたので話しかけた。
どうやら二高生と思われたが、説明したら「北陵館に行けば何とかなるかも」と教えてくれた。
北陵館は二高の正門から道路を挟み、テニスコートの奥にある新しめでワンフロアの建物である。



入り口にいくと何人も先生が立っており、
柱のそばにどこから入手したのかプッチンプリンや午後ティーがたくさん積んである。
中にはパイプいすをたくさん並べ、生徒たちがすわっているらしい。


近所に住んでおり、指定避難所の話を覚えていたので逃げてきたと話すと、
「ここには何にもない」
「準指定避難所だから、(指定避難所の)立町小に行くように」
と入れてもらえなかった。
これが難民かと思った。
(後で聞いた話だと、「二高も校舎がもろく、人数も入らないので立町のほうがいい」ということだったらしい。その説明なら納得である)



とは聞いたものの、仲の瀬橋(結構長い)を渡るのは怖いので、
そのそばのベンチ付きのバス停でしばらく休む。
歩いていたときは気付かなかったが、余震が何度も来る。

そのたびに歩道の広いところに出て身の安全をはかる。
まだ渋滞している。さっき目の前にいたバスが10分経っても数m先で進めないまま。



その後立町に行こうとしたところでどうやら近所のご家族といっしょに歩く。
このときお父さんが二高に聞きにいってくれ、夕方の拒否の理由が判明。
そこで「学生なら東北大に集まってるから行った方がいい」と言われ、大学へ行くことになる。
ご家族は立町小へ。



大学の川内北キャンパスへ向かうもほとんど人気はない。
公衆電話に少し人が並んでいるが、どうみてもこれは体育館にも避難していない。
文系キャンパスへ抜けるも同じ。
渋滞は変わらず続いている。
ここで立町小へ向かうことにし、青葉城址の下り坂を下りる。
瓦が落ちて割れていたり、塀がひび割れたりしていた。驚いた。

もうすっかり暗く、さっき少し降った雪のおかげで階段の段差がぼうっと白く見える。
ちょうどこちらに向かってきた大人の男女2人組に声をかけると、なんと薬学部の先生だったらしい。
アイソトープセンターにいたらしく、青葉山から途中まで送ってもらってやっと降りてこられたそうだ。



大橋(仲の瀬橋の一本南側)を渡って川向こうへ。
その橋はなかなかおしゃれでレトロな石橋風(?)の作りなのだが、この日一本街灯がたおれていた。
歩道側に寄せてあった。
先生が「気をつけてね」と声をかけてくれる。
交番前の大きな交差点で別れる。
角のメルセデスベンツはガラスをシートで覆っていた。




そこから北側へ一本進むと歩道橋で立町小へ一発なのだが、
やはり慎重になって横断歩道まで回り道する。
途中ローソンが開いていたが、人が並び暗がりで懐中電灯で照らしながらレジ打ちしていた。一種異様な光景だった。
『東京マグニチュード8.0』を思い出した。



たどり着いた立町小の玄関の案内の声でほっとする。
こんなときなのに「土足でいいのか?」と悩んでいたら「土足でいいですよ」と言ってくれた(照

夜は2階の一番奥の教室(朝見たら2−2だった。そういえば自分は小学校のころずっと2組だった)で寝る。
この日は毛布も食料もなく、あわてて持ってきた(1)が役だった。
2人なので寝袋をかけぶとんの様にし、毛布を敷いて暖を取る。



目の前のギャル2人は外出途中と行った格好で寒そうだった。
せめてと思って持っていたハッピーターンをあげた。
余震のたびに「揺れたよね!」「ヤバい!」と若干ヒステリックだった。まぁしょうがない。

右隣の4人組(きれいな英語を話す外人さんと日本人男性の旅人2人組、学生2人)が元気。
何かないかとコンビニへ行って戻った旅人2組がお酒を買って帰ってきて一杯やっていた(笑
その男性がキャリーにもたれてぐーすか寝ていて良かった。

赤ちゃんのいるお母さんが何人かいるがほとんど夜泣きもしない。
なんてお利口さんなんだ。元気に大きく育つんだよ。




各教室に電池式のライトが数個あり、なんとか目は見える。
水は止まっており、トイレが辛い。


「○○さんはいらっしゃいませんか?」と何回か係の人が回ってくる。
この教室がラストなのか、百中でこの部屋で見つかる。

床が堅くて寝付けない。寒い。
余震のたびに窓ガラスがきしんでいた。
電気がないので星がとてもよく見えた。
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